なぜ、うっとうしく感じるのだろう。
自作の音楽を配布していて、「聞く」ボタンを押すと選んだ音楽が流れるようなサイトの話ではない。開いたとたん、どこかで聞いたようなMIDIが鳴り出すようなサイトだ。
これが、音声ではなく画像ならうっとうしく感じないのに。それが、「画伯」レベルのイラストであったとしても。
なぜ、音声の出るサイトをうっとうしく感じるのだろう。考えてみた。
理由1.見る側が予期していないから。
画像があるサイトというのは、いまや当たり前である。トップにでかでかと画像を載せているサイトも多い。
しかし、開いたとたん音が鳴り出すサイトというのは、いまだ少数派である(と思う)。
そのため、サイトを開く人は、「サイトを開いたとたん音が鳴り出す」ということを普通は想定していない。サイトを開いたとたん音声が鳴ると、想定していないことが起きるのでうっとうしく感じるのだ。
理由2.同時にサイトを開くと「かぶる」から。
これは状況が限定されるが。
たとえば、他の画像・音声つきサイトを開いているときに、並行して新しいサイトを開くとする。
そのサイトに画像があっても、元のサイトとかぶさることなく見ることは可能である。ウィンドウの表示位置をずらせばいい話だ。
しかし、そのサイトに音声があったらどうか。
元のサイトの音声と、新しいサイトの音声が重なって聞こえてくるだろう。同時に複数のサイトの音声を独立して認識することはできず、うっとうしい。
(MIDIどうしの場合はデバイスの関係だろう、元のサイトのほうの音声しか聞こえない。しかしどういうわけか、音の大きさが変わってしまうのだ。)
片方が画像・音声なしのサイトであったらどうだろう。
画像・音声なしのほうを見ているときに、もう片方のサイトからの音が耳に侵入してくる。これもうっとうしい。
画像なら目に入ってくることもないのに。
理由3.遮断が難しいから。
嫌な画像が出てきたらどうするか。ブラウザの操作が間に合わなくても、まぶたを閉じたり視線をそむけたりすればいい。
しかし、音声はそうはいかない。音声は全方位から耳に入ってくるので、頭の向きを変えても聞こえてくる。耳たぶを器用に動かして耳の穴を閉じるわけにもいかない。ブラウザの操作でそのサイトを閉じるまで、嫌でも聞かざるをえない。
画像や音声は嫌だが、そのサイトの文章は読みたいという場合も、ときどきある。
画像ならば、画像に視線を合わせないようにしたり、スクロールして画像をウィンドウから追い出したりすることで、認識の外に追いやることが簡単にできる。パソコンの設定をいじる必要はまったくない。
しかし、音声には、画像のように簡単に認識から追い出す手段がない。
比較的良心的なサイトならば、音楽を止めるボタンを提供している。しかし、いちいちボタンを探し出して、マウスを操作してクリックしろというのか。俺は客だぞ!
そういうのがないサイトもある。そんなくそったれたところで、どうしても音を聞かずにサイトを見ようと思ったら、いちいちボリュームの調整パネルを表示さ
せて操作するとか、ノートパソコンならファンクションキーで操作するとかしないといけない。そして、サイトから出たら元に戻さないといけない。
ほんのひと手間だが、このひと手間こそがうっとうしさの元なのだと思う。
結論。
トップページでいきなり音を鳴らすようなサイトは、みんな「トップはアクセス数が多いが、あとのページは1日1アクセス以下」というアクセス解析結果になってしまえ。
2006年6月24日
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